とことこギャラリー
音楽の計画
音楽鑑賞、写真撮影、弄筆、読書。
これらが私のつまらぬ趣味です。私の感覚世界の根底にあるのは、最先端の技術で創られた音楽ではなく、常に新しいものを追求してきた人間たちの純粋なモチベーションの中にあるのかもしれません。精神の内部核に存在する感覚的記憶が、時には歪に、時には整頓され、時間経過で撹拌された化学反応が、何らかのトリガーを私に与えてくれます。
多数派の意見が肯定され、新しいアイデアが異端視されていた13歳の私は、奇をてらうのではなく、まったく新しい方法で創る音楽に傾倒していきました。
坂本龍一さんの『MUSIC PLAN』という楽曲に、次の歌詞があります。
軍隊のような毒を持て
100%は信じるな
彼はこの曲で何らかの創作予言をしたのでしょう。『Behind the Mask』は彼の代表作のひとつです。「隠された顔」「人間の二面性」。ジキルとハイド、といった感じでしょうか。毒の要素を含有させる、彼の手法です。
歪なグラデーションを辿るように、過去の記憶を呼び覚まし、自由意思で再構築させる。
これは悦びです。他者の賛同など期待しません。好みには「YES」も「NO」もないからです。
中島敦の短編小説『山月記』。科挙に合格した大秀才がトラに変身、そして彼の親友と山で再開します。虎になった彼は一編の詩を披露します。高水準の出来栄えでした。が、物足らぬものでもあったのです。物足らないもの、とは。
「人間性」です。
高校2年生の私には理解が及ばず、分かったのは後になってからです。他者との接触を極端に避けてきた私は、ひとを愛するという意味を逃してきました。私は本気でひとを愛したことがないのかもしれません。そもそも「愛する」という真意さえ、天体の重力に弾かれた惑星探査機のように、完全にサイト・ロスしてしまったのかもしれません。外界からの影響で生まれた感覚を、単にもてあそぶのではなく、ひとつの表現としての材料に活用できないか。
つまらないかもしれません。孤独で冷たく、難解で、自己満足の域をでないのかもしれません。しかし一般共通認識と何らかの共有部分を成した、初歩的な条件で相互理解に達することができるのではないでしょうか。
同と異。その乱反射的な関係のなかでも、理解の及ぶ領域があるのは周知のとおりです。
坂本龍一の音楽世界の原点『1000 of knives』から始まり、やがてYMOが誕生。秀作が数多く世に放たれ多くの人たちのこころに響き渡りました。YMOの創作の方向の分岐点となった『BGM』のリリックの持つ残忍で現実を言い当てた歌詞の意味が、表層を信じずに内核をうがつようになった最近の私にもようやく分かるようになったような気がします。
